2011年3月11日の津波で壊滅的被害を受けた南三陸町志津川では, 周辺の丘陵地を削って 道路・住宅地を造成するとともに, 旧市街地の嵩上げ工事が進行中.
写真上は2011年11月撮影, 写真下は2015年7月撮影
写真上は2011年11月撮影, 写真下は2015年7月撮影
2015年5月9日, 仙台キワニスクラブの会員・家族・友人22名が宮城県丸森町を訪問. 同町に所在する仙南サテライトの会員11名とも交流. キワニスによる丸森中学校に対するこれまでの支援に謝意が表明された.
東日本大震災を被災した宮城県丸森町の4中学校を統合して2012年4月に発足した丸森中学校に対するこれまでの支援
同町役場周辺広場で開催されていたフェア「丸森いち」会場において, 丸森中学校吹奏楽部による演奏で歓迎を受けた.
秋葉 薫 仙南サテライト会長の挨拶. 保科 丸森町長, 佐藤 丸森中学校長, 丸森中学校吹奏楽部代表による謝意表明.
佐藤 嘉昭 キワニスクラブ共同基金運営委員会委員長および我妻 清一 仙台キワニスクラブ会長の挨拶・キワニスの紹介.
丸森中学校吹奏楽部団員に我妻仙台キワニスクラブ会長からキワニス・ロゴ入りの図書カードを贈呈.
国際的ピアニスト粟津礼子氏は, 2011年3月11日の地震・津波罹災者を支援するため「音の種まきプロジェクト」
を行ってきている. 宮城県気仙沼市では, 4年経った今でも, 多くの罹災者が仮設住宅に暮している.
2015年3月27日に気仙沼市公民館・条南分館で行ったコンサートには, 付近の仮設住宅の住民も含め約80名が参加した.
2015年3月28日に気仙沼市公民館で行ったコンサートにも, 付近の仮設住宅の住民も含め大勢が参加した.
両日とも, コンサートは約2時間続き, その第一部では粟津氏が, ショパン, ベートーベンなどの名曲を独奏した. 第二部では, ストレッチ体操と
発声練習の後, 粟津氏の伴奏で, 名曲を全員で合唱した. 参加者にとっては, 第一部・第二部ともに素晴しい癒しをもたらした.
東京の西町インターナショナルスクールの日本語クラス学生からの激励メッセージに参加者はお礼のメッセージを書いた.
3月27日の気仙沼市公民館・条南分館でのミニコンサートの後で.
3月28日の気仙沼市公民館でのミニコンサート.
第一部のピアノ独奏後, 第二部の準備としてストレッチ体操と発声練習.
東京の西町インターナショナルスクールの日本語クラス学生からの激励メッセージにお礼のメッセージ.
東日本大震災の起きた2011年3月11日から数えて5回目となる2015年3月11日とその前日に, JR札幌駅前地下街で「5年目の3.11」 が催され, 約6,000人が参加した. 今なお困難な状況が続いている被災地・被災者の状況を伝え, 復興を支援することが目的であった.
東日本大震災からちょうど5回目となる2015年3月11日午後2時46分に黙祷.
これまでに被災地を訪問し音楽を届けてきた演奏団体による音楽. 背景の垂幕には, キワニスクラブ共同基金のロゴも.
キワニスクラブ共同基金やキワニスの活動紹介. 背景には古書シェアリングのブース.
東日本大震災の被災状況報告.
キワニスの活動紹介とともに, 被災地の子供達への木彫メッセージ募集.
子供達による, 被災地の子供達への木彫メッセージ作成.
北海道産の木材を使ったおもちゃ.
福島医科大学小児科に, これまでに引続いてキワニス人形50体とともに, 子ども達のための視聴覚環境増強の一環として, 2台のアップルiPad, ブルーレイディスク・プレーヤー等を贈呈.
4年前となった2011年3月11日の東日本大震災後, 沿岸部で被災した多くの子供達が仙台市に転入している. 仙台市スポーツ振興事業団が管理する屋内スポーツ競技場「シェルコム仙台」では, それらの子供達が, スポーツを通して健全にすくすく育つよう様々なスポーツ大会を企画している. その一環として, 2015年3月8日に, 8ファミリーチーム対抗の第12回フットサル大会を行った. 各チームは, 単一または複数の家族 5~10名によって構成され, 小学生以下2名以上, 高校生以上2名以上が常時 出場していなければならず, ゴールキーパーは高校生以上が務めることが条件であった. キワニスクラブ共同基金は, 大会運営のために200,000円を支援した.
当日配布されたプログラム表紙. その裏には仙台キワニスクラブの活動が紹介されていた.
会場となった屋内スポーツ競技場「シェルコム仙台」の外観
参加者全員に参加賞として進呈した1,000円の図書カードは, キワニスのロゴ入り.
キワニスクラブ共同基金運営委員会の佐藤嘉昭委員長から賞状を贈呈.
2015年1月31日の贈呈式. あいにく流行中のインフルエンザのため, 15名の団員中6名しか出席出来なかった.
ミット, ボール, バット, ヘルメット等の野球用具の他に, バックネット, 防球ネット, スコアボードも寄贈.
野蒜小学校の運動場が使用不可能になったため, 団員達が自分たちで地ならしして整備したグラウンド.
寄贈したバックネット, 防級ネット, スコアボード等が使用されているが, あいにく 前日に降った
25センチメートルの積雪で, はっきりと見えない.
団員募集のポスター. 本チーム出身者が, 甲子園での高校野球大会でも活躍している由.
(東松島市図書館「まちなか震災アーカイブ」パンフレットより借用.)
赤い「津波到達ライン」まで到達した約10メートルの津波により, 東松島市野蒜地区は壊滅的被害を被った.
(震災直後に撮影された写真上は, JR仙石線の旧野蒜駅にある「野蒜交流センター」の展示より借用.
写真下は, 2015年1月31日撮影.)
東松島市教育委員会 東松島市図書館 ICT地域の絆保存プロジェクト【東日本大震災を語り継ぐ】
に東松島市を襲った東日本大震災の記録写真が多数.
JR仙石線は, 東日本大震災により高城町駅と陸前小野駅の間で壊滅的被害を受け, バスで代行運転中.
従来よりも内陸部の新しい線路が完成し, 2015年5月30日から, 仙台・石巻間の直通運転再開.
旧野蒜駅北方の岡の上に建設された新野蒜駅と, そこから東に伸びる新しい高架路線.
東日本大震災で壊滅的な被害を受けた「宮戸小学校」と「野蒜小学校」は, 現在それぞれ仮校舎で授業を
行っているが, 2016年4月に統合され「宮野森小学校」となる. 旧両校名の冒頭の漢字を織込んでいる.
現在, その校章を募集中.